株式会社 ユア・ヒストリー

観光の目玉として日本画の複写美術館(デジタル印刷)

日本には世界に誇れる素晴らしい美術品があります。

日本には世界に誇れる素晴らしい美術品があります。特に絵画の分野では、ヨーロッパに絵画と匹敵するレベルのものが多いと思います。ところが一般の市民は、実際にそれを見る機会は少ないです。もちろん特別展などでたまに公開されますが、やはり東京とか大都市圏に限られます。地方の人でももっと気楽に国宝・重要文化財の作品を見ることが出来れば・・と思います。もちろん作品の保護の観点から、実際のものを展示させるには敷居が高いかと思います。
現代は、デジタル技術がかなり優れていますので、本物の鑑賞までとはいかないでしょうが、はっきり言ってそれでも見る価値があるはずです。
今ある清水区のフェルケール博物館の改造でも良いかと思います。箱ものと言われそうですが、日本は各地にある美術館、博物館の数は世界からみても圧倒的に多いと思います。各県に数十以上の美術館があるのでは・・と思います。私は絵画のことしか分かりませんが、日本の美術(絵画)は、世界に誇れるレベルです。ただ、日本人自身がその貴重さを理解してないと思われます。
こんなにも各地に美術館があるのにと思います。(その多くは日本が高度成長期に作られたものが多いのでしょうが)われわれ自身が日本の文化の高さを理解できていません。日本全国に、こんなにも美術館があるのに。

司馬江漢の評価

司馬江漢の評価が低すぎる

司馬江漢(江戸時代の画家)は、同時代に活躍した与謝野蕪村や池大雅に比べると評価が低すぎる。池大雅の国宝の数や重要文化財の数を比較すると圧倒的な差がある。 (つづく)

浮世絵(東海道五十三次)の蒲原は由井である。

準備中

テキスト

富嶽三十六景

富嶽三十六景とベロ藍

北斎が高年齢になった72歳~74歳になって富嶽三十六景を描けたのは安価になったベロ藍の青を北斎の弟子が木版画浮世絵で使ったのを見て大きなインスピレーションと可能性を見いだし、高年齢になったにもかかわらず、北斎の才能が開けたからである。 北斎自身はベロ藍の存在は長崎に行ってることもありすでに知っていたと思う。京都画壇の伊東若冲が80年ほど前に日本で初めて使用したとされている。しかし、高額であったのであろうか一部の図(魚の絵)のみがベロ藍であった。当時は高額な材料であり、大量に製作される木版画の絵具としては考えられなかったと思われる。そして、1820年代に入った頃、中国で大量生産が可能になった。(牛の血液に灰を混ぜる工程があるようだが)もしくは、イギリスからのベロ藍の注文がキャンセルになったという説もあるが、とにかく安価で日本にベロ藍が入ってくるようになった。そして、多分浮世絵の摺師からの提言で、ベロ藍が鮮やかな青の発色が出ます。発明されたヨーロッパでは絵具としては油に溶かして重ね塗りするために、どうしても青が暗くなってしまうという欠点があった。ところが浮世絵木版画では、木版に塗られたベロ藍の青は、間接的に和紙に映し出されることにより鮮やかな青の発色が出た。
憶測ではあるが、北斎はそれを見て大きなインスピレーションを感じた。そして70代になったにもかかわらず、大きな美術的才能を開かせることが出来た。
富嶽三十六景の構想が浮かび、さらに80代になって肉筆画として小布施にある大作にもベロ藍は使われている。
後年ヨーロッパでは浮世絵の北斎ブルー、広重ブルーとしてその青の鮮やかさがもてはやされ、ジャポニズムのブームの一因となった。ベロ藍は水彩画である日本画で、その価値が大いに生かされた。水で溶かされたベロ藍の絵具が鮮やかな青を生み出したのである。